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東電無罪論

平成23年3月11日午後、マグニチュード 9.0という巨大地震が発生し、その後に未曾有の津波が押し寄せて東北関東大震災となりました。この津波により東北地方の原子力発電所が破壊されて甚大な被害を出し、未だに収束しておりません。当社は被災者の方々に対し日本赤十字社を通じて義捐金を寄付して私達の気持ちを伝えました。私個人も公益法人 偕行社を通じて、救援出動をした自衛隊に寄付をし、労をねぎらいました。

さて、原発事故の法的賠償責任は東京電力にはありません。政府は「東電に賠償責任があり、政府にも賠償責任がある」と強引な論理を展開して政権への風当たりを回避しています。「原子力損害賠償法」という法律(第3条)には未曾有の津波は原子力事業者を免責をすると定めております。免責条項を適用しない場合は(想定内の事象でしょうが)上限額が1,200億円と定めています。さらに、損害賠償の責に応じる為には国の審議を経ることが(第7条に)明示されており、その審議の結論が出るまでは損害賠償に応じることが出来ない旨が定められています。

それにも係わらず、菅内閣は「原発事故に対する第一義的な損害賠償責任は東電にある」として被災者への「損害賠償の仮払金」支払いを東電に強要しています。この様な不法行為がなされるなら、東電は株主代表訴訟を起こされるばかりでなく、政府自らが超法規行為を率先することになり、民主主義と法治国家に重大な危機を招くでしょう。

即ち、東電の原発事故の損害賠償は免責されるのであって、その結果として第一義的な損害賠償責任は政府にあるのです。もし「東電は免責されない」と政府が言うのであれば、不適切な状態での原発運転を「認可」していた矛盾はどうするのですか。東電は認可なくして自由に原発は運転できないのです。そして、政府に第一義的な損害賠償の責任が生じる以上、税金は当然に投じる必要があります。政府の(東電責任がなければ)「税金を投入することに対して国民の理解を得ることができない」などと無責任極まる発言に怒りを感じます。

我々が納めた税金はその執行に文句があるといっても、返してもらえたためしはありません。政府は国民を守るために税金を使わないのであれば、誰も税金など納めたくはありません。九州が他国から攻撃されても、「北海道の国民には直接の関係が無いので税金を投じての国防は躊躇する」というに等しいのです。未曾有の災害には「税金を投入じよ」と言わねばなりません。その投入方法論は知恵を絞らねばならないことは勿論です。

東電無罪論は経団連の米倉会長が最初に発しましたが、マスコミは被災者の怒りが怖いせいか論評しません。被災者は怒りと悲しみをマスコミに誘導されて東電にぶつけしまうのです。リーダシップの無い政府と、「正しさ」に無頓着なマスコミの責任は重いと思います。最近になって銀行の東電に対する債権放棄が言い出されて、銀行からやっと異論が出てきました。最初から、原発事故の損害賠償は第一義的に政府の責任であると明確にし、「被災者全員に賠償をする」と言えば国民の不安は一定の沈静が出来たでありましょう。

荒浜にて

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