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東電有罪論

前回は「原子力損害賠償法」による今般の原発事故責任について述べました。福島原発事故は地震によるものではなく、最高で30mを超えるという想定外の津波によるもので「異常に巨大な天災地変」に該当しますので、私の持論は変わりません。原発は国策で実施している事業であり、天災地変が原因ですから、地域への損害賠償責任は東京電力には無く、それは政府にあります。しかし、今回は当該法律以外での責任はどうかという点について述べたいと思います。

原子力発電は約50年前から日本の国策でした。その理由は明確であり、3つの理由があります。先の大戦の原因になっている、「エネルギーの確保」が第一義です。第二次世界大戦の日本側の認識として、大きなエネルギー危機感があったことは、開戦前の欧米列強による日本への「ABCD包囲網」という制裁をみても明らかです。理由の一つは石油を止められれば国の防衛ができません。敗戦後の経済復興にもまたエネルギーが必要であり、これが二番目の原子力政策の理由です。三番目は未来技術として核融合反応が制御できるまでの繋ぎとして採用されています。

つまり、原発政策は国防、経済、技術開発という側面があります。大国はどこも同様の事情を抱えていて、三番目の件では、皆さんもご承知のごとく「欧州合同素粒子原子核研究機構・CERN」は有名です。日本の原子力政策は半世紀来の国策でしたから民主党に原発政策の全面責任があるわけではありません。それを言うなら自民党の方に大きな責任があります。国策を担わせる事業体として政府は九つの電力会社に地域独占をさせました。また、原子力発電装置の事業体としては世界では極めて少数です。チェルノブイリの原発事故以降、「企業」として各国では撤退が続き、日本の東芝、日立、フランスのアレバ社位いしか大手は存在しないのです。

さて、東京電力の原発オペレーション事業者としての事故責任は大いにあります。原発は安全に運転しなければなりません。原子力発電所の場所の選定や建設は正しく行われたかというと、そんな事はありません。用地買収にしても、住民や自治体に対して「騙しのテクニック」を用いたりしているわけですから「有罪」です。例えば、「日本の原発危険地帯」という本(鎌田 慧 著)を読むまでもなく、多数の東電への指弾があるわけです。 政府は反原発運動を抑えるために東電に汚れ仕事を押し付けて、自治体に金を撒かせ経済誘導をしてきた訳でしょう。

事故後に段々と判明してきていることですが、監督機関もいい加減なものであり「人災」と言われています。安全策についても以前(少なくとも2007年7月の柏崎原発事故)から指摘があったにも係わらず、手が打たれて来ませんでした。情報公開にしても復興計画にしても菅内閣はリーダシップを発揮したかと言うと、とてもそんな状況ではなく、「無能」としか言いようがありませんでした。関東大震災の時に山本権兵衛内閣は26日後に帝都復興院を「スタートさせた」のですが、菅内閣では「復興庁」の設立は約1年後と、悠長この上ないというあり様です。そういう政治を選んだのは国民ですから自業自得ではありましょうが、50年来の啓蒙としてマスコミは適切な継続性のある指摘をしてきたかを問えば、秘匿に加担したと言う方が当たっています。

皆さんが仮に正論を言っても、マスコミは時の政権と裏で癒着して記事を書きませんので、マスコミもまた有罪であり、情報を秘匿されては国民は正しい判断ができません。(「原発事故残留汚染の危険性」 武田邦彦 著を参照) 無論、「国民」という表現は抽象概念ですから色んな考え方をする個人の集まりです。従って、具体的には政治組織または選挙制度にも問題があるという事は言うまでもありません。一方、原子力問題は日本においても「人類の未来を考えて、結局どうするのか」という視点が要ります。国防、経済、技術開発には全て「矛盾」が含まれています。原発は「今は」必要であるからこそ現実と矛盾とに向き合い、人類の未来を選択して行く必要があります。
櫛の歯防風林

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